韓国裏話(星野英彦編)
BUCK−TICKの来韓公演が決定してから特に私が頭を悩ませたのは星野英彦さんだった。
一体何と呼んだらよいのかそれすらよくわからない。アツシさんとかイマイさんの場合には通称そう呼ばれるということを知っていたが、この人に対しては通常的な呼称がわからなかった。
かと言って「星野さん」だとあまりに硬そうで、かといって「ヒデ」だとX-Japanの松本ヒデトさんが連想されて・・・結局いろいろなファンサイトを探して「ヒデさん」と呼ぶことに私の勝手に思い立った。
BUCK−TICKが入国した日、ヒデさんは名前で私に肩透かしを食わせたように、また一度肩透かしを食わせた。
ヒデさん・・・予想以上にあまりにさっぱりしていて、すっきりとしたスタイルだからまったく大きな人という感じがしなかった為だった。
それがどうしたといわれるだろうが、既にヒデさんを良く見知っているファンならともかく、この時までファンというほどでなかった私はメンバーと、スタッフと、警護員と、ファンに取り紛れてしまった空港でヒデさんが容易に見分けられなかったのだ。
メンバー達の乗ったバスの中でメンバー達の数を数えたが、なぜ四人だけなんだろう? アツシさん、イマイさん、ユータさん、ヤガミさんは全部乗ったのに・・・犯人はヒデさん。
ヒデさんをメンバーとして掴んでいなかったから一瞬メンバーの一人を忘れたと思ってどのくらい慌てたことか。
ホテルまで行くバスの内で私はいつも中間の前の方に座っていたしメンバー達はいつも後ろの方に座っていた。
たまにバックミラーで後の座席を盗み見るので、メンバー達の心気を見たりしたが、この時ごとに私の視線に引っかかった人はただ二人。一番後の座席をまるごと占めて座わったアツシさんとその前の左側座席に座ったヒデさん。
ほかのメンバー達は寝付いたり体格が小作りな関係で別に目に触れなかった。ちらちらと見たヒデさんに対する感じは「とてもまっすぐな人」だった。
ホテルや空港では逆に寧ろヒデさんをまず一番先にチェックした。
それから夕食の時、ヒデさんはほんとうにひっそり食事をした。私と遠く離れて座わったのではないが偶然に話しかけるには少し曖昧な状況になるので。この座席でヒデさんが話すのをいくらか聞いたが、その中で一番長い言葉「ここもITCHANA、アツシとイマイ」(どういう意味だかわからない)それぐらい。この時になってもヒデさんをただ本当に静かな人だと思った。
食事を終えて、次の日また会ってコンサートホールに向かって、インタビューをする時までひでさんに対しては特別な記憶がない。
あんまり緊迫した状況だったので、内心はそう思わなくても私の気配りの対象から抜けたりするヒデさんをほとんど気にしなかった。(ヒデさんファンには本当に申し訳なく思う)ヒデさんを特別に思うようになった契機はインタビュー。インタビューを進める進行役である私にヒデさんは本当に大変だった人だった。
どういう質問をしても返答は精一杯短く。少し考え込んだと思うと結局出る話しは「そうですね・・・余り・・・」等々。
時間が十分あるのなら感じないのだろうが、差し迫る時間に部屋でインタビューをする途中、内心ほかのメンバー達がヒデさんにマイクを渡さなければ・・・などと思うくらいだった。
ほんとうに熱心に答えてくれる姿は見て取れたが、状況が状況だから、どうにも私も切迫していた。
公演の時ヒデさんの衣装は赤い革ズボンに黒いブラウスだった。
基本所在自体が少しセクシーなスタイルであり服を着ていてもナイスボディヒデさんだから色気をぷんぷんと匂わしても良いのに、ヒデさんはそんな衣装を着ることはなくほんとうに余りにも画一的なインテリに見えた。
ほんとうに惜しいのは、私は公演するヒデさんの姿をほとんど見ることが出来なかったということ。
後で撮影テープを見るとヒデさんとイマイさんがちょっと立ち位置をかえて演奏した時もあったのに、あいにく私はその時放送スタッフやBUCK−TICKスタッフと無言で辺りをチェックして確かめるために暫く舞台から視線をはなしていた。なので結局私は舞台に上って下がるヒデさんの姿以外に見ることはなかった。舞台でのヒデさんはどんなに素敵だっただろうか。
公演が終ってソウルにかえってきて開かれた後の打ち上げの座席では私はヒデさんとたくさん話すことが出来た。
私はヒデさんと向い合って座わったから!
この時ヒデさんの衣装はだぶつくミンソメシャツにジーパンだった。
至極平凡なスタイルであるが、元来この人の持ち味は平凡なファッションである時もっと引き立つ方。その衣装を着て安らかに座わっているヒデさんは今までとはまた異なる、野性的な魅力まで匂わしていた。
けれどもどうも私はヒデさんとは合わないようだ。ヒデさんも話しをしない方であるが、私も誰かと親くなるまではたくさん話の出来る方ではない。それに日本語で話をしなければならないからむりやりに話をするとしても、雑談をするくらいの水準になれないから。
それでもあまりに話をしなければ失礼という考えにむりやりに話題を振ってヒデさんに話しをかけたり、側に座った韓国スタッフの話しを怪しげな日本語で訳して伝えるためにヒデさんにかなり話し掛けた。
それでもヒデさんは堅く短い返答、それからときどきは返答することもなくただこくりこくり。
アツシさんとは長い対話に発展させて行ける一言が、ヒデさんの場合にはやはり一言ずつで終ってしまったりした。
私が難しい日本語で一生懸命話しかけても、ヒデさんの短い返答にすべての努力は水の泡に帰る感じだから
その当時にはヒデさんが無情だという考えも少しよぎった。
けれども、その渦中にも私はヒデさんに感動を受けてしまった。
ヒデさんは続けて食卓から少し後ろに抜けて壁になどにもたれて座わっていたが、私が「ヒデさん」と呼ぶと姿勢をかえてそれからすっと寄り添って座って熱心に私の話しを聞いてくれた。
私の日本語が不器用だったせいもあるが、もしかしたらヒデさんの耳が良いのではないか?
何しろ大変だったにもかかわらずいつも寄り添って座ってくれた。それもやんわり笑いながら。
それにもう一つ。私は日本語が出来るが私の近くにいた韓国スタッフは日本語が出来ない人だった。それで私を通じてヒデさんに続けざまに様々な質問をしていたのたが、この人が日本語は出来ないが英語はすこしできるという事実を知るようになったヒデさんは、私が日本語で質問をするとこの人のために難しいが英語で答えてくれるという普通以上の誠意を見せた!
その姿を見た思った。ナイスボディヒデさんではなくてナイスパーソンヒデさんだと。
空港でBUCK−TICKを見送りながら「今度はよく気を配ろう」と一番意識的に気にしたメンバーはやはりヒデさんだった。けれども状況が私を助けなくて、結局ヒデさんはまた目だけで追って、実質的にはイマイさんを警護する格好になってしまった私。
どうもヒデさんにとって私は「日本語がとても無器用で気配りが不足したスタッフ」として覚えられないだろうかと心配になる。
やはり後で BUCK−TICKの音楽をたくさん聞きながら
ヒデさんが作った曲から一貫した感じを受けた。
メロディは本当にすばらしいがその基礎はかなり漠然としているということ。
その柔らかくて人の良いナイスパーソンヒデさんには「ヒ間時ゾ」や「ケニ地(記しの意味)」のような音楽だけ出来るものだと思ったが寧ろほんとうに反対の感じだということ。
ヒデさんに対しては本当に人間的に見習う点が多かったようだ。
私が何、ヒデさんに対して知ってことはどのくらいかというと、一旦人にそう良い印象を与えることがてきることと、人に対する時最大限の誠意を見せる態度。
私に絶対不足した誠実さをヒデさんの上に見たから、特別にヒデさんという人は人間的に記憶されそうだ